「あの時,ああすればよかった」。
わたしたちはこれまでに何度そう思ったことでしょう。

後悔するような選択は,だれもしたくありません。
自分の人生を方向づけるような選択の場合は特にそう言えます。
しかし,どうすれば幸福につながる選択ができるでしょうか

まず第一に,本当に信頼できる規準が必要です。
そのような規準は存在しますか?
存在しないと考える人は少なくありません。
米国で行われた調査によれば,大学生の75%は,正邪などというものはなく,善悪の概念は「個人の価値観や様々な文化」によって異なると考えていました。

道徳規準は,単に個人の考えや一般の人々の意見で定めてよいものなのでしょうか。
いいえ,そのようなものではありません。
もし人々がしたい放題のことをするなら,大きな混乱が生じるでしょう。
法律も裁判所も警察もないような場所に住みたいと思う人がいるでしょうか

さらに,個人の考えは必ずしも信頼できる導きになるとは限りません。
正しいと思ってしたことが後になって間違っていたということがあります。
「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」という聖書の教えの真実さを,人類史全体が雄弁に物語っています。(エレミヤ10:23)
では,生活の中で大きな決定を下す際に,どこに導きを求めることができるでしょうか。
神の言葉は信頼できる導きであり,生活の中で賢明な選択をする助けになります

そして,聖書の原則を当てはめるなら幸福になることができます。
カナダでのことですが,雪の降る寒い冬の日に,二人のエホバの証人が年配の男性を訪問しました。
会話していると,その男性は,心臓病を患っているため自宅の前に積もった雪を片付けられないと言いました。

一時間ほどすると,雪かきの大きな音が聞こえてきました。
二人のエホバの証人が戻って来て,玄関に通じる道と階段の雪かきをしたのです。
その人はエホバの証人のカナダ支部に次のような手紙を書き送りました。

「今日わたしは,本物のクリスチャン愛を示していただきました。
たいへん元気づけられ,見方が変わりました。
これまでは今の世の中に対して概して悲観的な見方を持っていたのです。
皆さんが世界中で行っている活動は本当に素晴らしいと前々から感じていましたが,その気持ちはさらに強まりました」。
どんなに小さなことと思えても,助けを差し伸べようとするなら,他の人に良い感化を与えることができます。
自己犠牲を示すこうした選択をすることにより,大きな幸福を味わえるのです。

「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。(マタイ7:12)
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